戦後、朝鮮半島問題の原因はいつもアメリカだった。

北朝鮮の平和努力 主な年表

北朝鮮の核問題についてあらためて事実関係を見よう。。。


1993年、米韓は前年に中止した「チームスピリット」合同軍事演習を復活させた。

これに対抗し、北朝鮮は核拡散防止条約(NPT)から脱退した。

その直後、米朝会談が始まった。 

朝鮮側はカン・ソクジュ外務省第一副大臣、アメリカ側はガルーチ国務次官補。

金日成主席の死去(1994年7月) による混乱を乗り越え、

1994年10月21日、朝米基本合意に至った。

合意の主要内容は、朝鮮側が黒鉛減速炉を放棄する代わりに、アメリカ側が軽水炉の発電所を提供するというもの。外交関係の樹立まで想定されていた。

クリントン当時大統領は、この合意を保証する文書を金正日総書記に提出した。

クリントン政権が朝鮮問題で交渉による解決に向かった訳は、戦争シミュレーションで自国の甚大な被害が想定されたからであり、カーター元大統領の助言もあった。

当時、金日成主席とカーター元大統領の直接会談は大きな転機となった。

さて、世界は、北朝鮮がこの合意を破って核開発を続けたと非難しており、これが共通認識とされているが、北朝鮮側は、アメリカが合意を履行せず、軽水炉の建設が破たんしたからだと主張している。

実際、華々しく着工した軽水炉建設工事だが、基礎の基礎の穴掘りをしただけで、その後の建設はまったく行われず、北朝鮮へのエネルギー保障も履行されなかった。

ブッシュ大統領が北朝鮮を核の枢軸と呼び、敵視政策を再開させたことがきっかけだが、そのブッシュ大統領も、任期末期には6カ国協議による解決に向かった。

そしてその合意もまたエネルギー保障がなされず、崩壊した。