トランプの対北朝鮮戦略は「恐怖戦略」

起源は「砲艦戦略」

その発展が「核恐喝」

周辺国を脅して対象国を孤立させるやくざ戦略
他の国や民族に極度の不安心理と脅迫雰囲気を与え、侵略的目的を容易く達成する「恐怖戦略」は、

近代、植民地争奪戦を繰り広げた列強が軍事力の弱い国の海域に大砲を装備した艦船を配備し、砲声で脅迫した「砲艦外交」が起源である。

1866年、米国は、武装帆船「ジェネラル・シャーマン号」を平壌の大同江に侵入させ、大砲で朝鮮封建政府を脅迫した。

※ハワイ併合も同じやり方

第二次世界大戦後、世界初の核保有国、核兵器使用国となった米国は、「砲艦外交戦略」を、より暴圧的な「核恐喝戦略」に進化させた。

※米国は広島と長崎に原爆を投下。犠牲者、被害者数は44万人を越えた。これはナチス・ドイツがソ連で行った虐殺よりも多い。

米国が北朝鮮に行った恐喝事件

朝鮮戦争を開戦した米国は1950年8月、韓国に核兵器を持ち込んだ。これにより、「原子爆弾避難民」が行列をなした。その結果、今日まで尾を引く離散家族問題が発生した。

1968年、米国の武装偵察船「プエブロ号」が朝鮮領海に侵入。朝鮮人民軍に拿捕された。この問題を国連安保理に持ち込んだ米国は、報復として全面戦争をちらつかせた。後に米国側が謝罪して捕虜解放。

1969年、米海軍の早期警戒機EC-121機が朝鮮人民軍によって撃墜された。「報復のために戦術核兵器で北朝鮮の基地を攻撃することも検討されたが、当時ベトナム戦争に手こずっていたニクソン政権は決断できなかった」(米公文書)。

1976年、ポプラ事件。非武装地帯内の共同警備区域内に植えられていたポプラ並木の一本を剪定しようとした、韓国軍兵士と韓国人作業者と米陸軍工兵隊が、朝鮮人民軍将兵によって攻撃され、米陸軍士官2人が死亡、数名の韓国軍兵士が負傷した。

1990年代、クリントン米政権は「チームスピリット」米韓合同軍事演習に核戦略爆撃機「B-1B」などを投入。「核疑惑」に関連し「外科手術式打撃」と称し脅迫した。その後、対話に転じた。

2000年代、「テロとの戦争」を拡大し、北朝鮮を「悪の枢軸」「テロ支援国家」と断定し、朝鮮敵視を極大化。後に「テロ支援国家」指定を解除し対話に転じた。

2010年代、2015年8月を戦争開始の月と位置付け、政治、軍事、経済、文化、外交など、あらゆる分野で圧迫を強め、核戦争をあおった。結局、放置した。

トランプ政権は、米韓合同軍事演習に核はもちろん、特殊戦武力と装備を大々的に投入。シリア空爆で脅迫。原子力空母などを次々と朝鮮半島に向けて派遣。圧迫の強度を強めたが、結局、平和的解決を模索。

米国の恐怖戦略は、核戦略爆撃機と大陸間弾道ミサイル、原子力潜水艦など三大戦略兵器を総動員する核恐喝、周辺国に北朝鮮の政治外交的孤立と高強度の経済制裁、文化的浸透の協力を迫る全方位的、複合的形態へと進化した。